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島津は屈せず

戦国武将というくくりだけで無く、歴史上の人物で一番好きなのが上杉謙信なんですが、その次に好きなのが島津義弘だったりします。
あとは、最近詳しく知った大谷吉継のカッコ良過ぎる死に様にも即惚れでした(笑)。

元々、戦国時代を扱った映画やゲームが好きで、ちょこちょこと小説等も読んでます。
でも、薩摩(鹿児島県)の島津家について詳しく述べられらた本を読んだのは今回が初めてで、それが『島津は屈せず』っていう本だったんですが、凄く面白かったので紹介しておきます。


『島津は屈せず』
近衛龍春さん著:毎日新聞社

520Pもある分厚い本で、基本的には島津家の歴史の解説本。
でも、時系列に従って小説風に描かれている部分も有り、史記や覚書に残っている様々な言葉を引用して台詞として描いてるので「ちょっと解説の多い小説」風に楽しめる本になってると思います。
島津家が豊臣秀吉に降伏したいきさつから朝鮮出兵の詳細、そして西軍として参戦し敗北をした関が原の合戦後、「最強の敗北者」として領地を一切削減させなかった島津家の武勇と知略を詳しく描いてあります。

ネックは、上記の史記や覚書からの引用の台詞がそのまま鹿児島弁で記されてる事。
自分は鹿児島出身なので問題なく読めるんだけど、これ、九州外の人には意味わからないんじゃないかな、、、(笑)。
あと、著者が激しく薩摩藩と島津家を愛してる事がひしひしと伝わってくるんだけど、それが若干裏目に出て著者の主観だけで描かれてる部分も有るかな、、という印象。
後述する『関が原 島津退き口』が徹底した分析と緻密な検証からなる解析本になってるので、それと比較するとこの本は「フィクション」とまでは言わないけど、諸説ある事件の中から著者が選んだ物を「事実」であるかの様に描いてる部分が多々見受けられる気がします。

でも、そのおかげで激しく熱い読み物になってるんですけどね(笑)。
まさか何回も泣かされる羽目になるとは思いませんでした(笑)。



『関が原 島津退き口』
桐野作人さん著:学研新書


『旧記雑録』や『島津家文書』等の国宝に指定されている一級史科や様々な覚書の解説と検証が中心になっていて、「島津退き口」を徹底して描いている本。
上記の『島津は屈せず』は秀吉の九州進行から家康の天下統一までを描いてるのに対して、こちらは有名な関が原の合戦での「敵中突破」だけをひたすら検証してるので、併せて読むと凄く面白いです。



以下は、この時代の島津家と島津義弘への感想ですが、島津家や戦国時代に詳しい人に対して長々と語っても意味が無いので(自分以上に詳しい人だらけですしねw)、島津家や島津義弘をあまり知らない人に向けて説明しておきます。


まず、有名な「関が原」の合戦で、島津義弘が率いる島津勢が行った『島津退き口』。
これは勝敗の決した関が原で、敗者である西軍の島津義弘が「たとえ討たれるとしても敵に向かって死すべし」と東軍のど真ん中を突破して壮絶な離脱戦を行った時のこと。
東西合わせて15万人くらい居た関が原で西軍は全て撤退を始めている中、わずか1200人で東軍の本陣すぐ近くを突破して、島津義弘を含む70数人が鹿児島まで生きて帰ったという壮絶な話。

この時、有名な「釣り野伏せ」戦術や「繰抜」っていう鉄砲術を駆使したらしいんですが、ここで戦死した島津豊久(「ドリフターズ」って漫画で主人公になってますね)や長寿院盛淳の話も壮絶で、、、、とくに長寿院盛淳が義弘の鎧や陣羽織を身にまとい、身代わりとして「島津兵庫頭義弘、死に狂い也」って絶叫しながら死んで行った話とか素で泣きました(笑)。
諸説あるらしいですが、関が原の合戦が開戦する直前に総大将である徳川家康の軍勢を奇襲して、家康を自刃寸前まで追い込んだという島津久林の話も痺れました。
ホンダムこと本多忠勝の援軍が間に合わなかったらそのまま自刃になってたかもしれないらしですね。惜しいなぁ(笑)。


ちなみに関が原の合戦から400年以上経った今でも鹿児島県人はこの島津勢の敵中突破の武勇を誇りに思っていて、毎年10月頃に「妙円寺参り」っていうお祭りを行っています。
これは、関が原(岐阜県)の合戦から離脱し、大阪城で人質になっていた女子供を救出した上で鹿児島へ生還した島津義弘を称え、彼の菩提寺である妙円寺(徳重神社)に向かってひたすら歩く行事。
自分も中学生のとき、鹿児島市内から妙円寺まで20キロくらい歩きましたねぇ。あと、妙円寺奉納剣道大会っていう剣道大会にも出場してました。
当時は島津義弘のことをほとんど分かって無かったし、「妙円寺参り」も歩くのダルい、、、くらいしか思って無かったので(笑)、大人になった今、改めて「妙円寺参り」に行ってみたいなぁ、、と思っています。鹿児島遠いけど(笑)。


そして、島津義弘の武勇を日本だけで無く朝鮮半島や中国にまで轟かせる事になった朝鮮出兵(文禄の役、慶長の役)の話。
秀吉が行った朝鮮出兵では、石田三成、大谷吉継、毛利輝元、立花宗茂、加藤清正、福島正則、宇喜多秀家、鍋島直茂、小西行長、etcetc、有名な武将達が約7年も朝鮮半島で戦ったんですが、秀吉の病死後に撤退しちゃってるんですよね。
その撤退時に起きた「泗川の戦い」では、島津義弘と島津豊久率いる島津軍約7000人で、明・朝鮮軍の約10万人(遠巻きを入れると20万人って説も)を撃破し、4万人近い死者を出した明・朝鮮軍から島津義弘が「鬼石蔓子」(おにしまず)として恐れられた、、って話。



『関が原 島津退き口』では島津勢がなぜそんなに野戦に強かったのか詳しく解説してあって興味深かったです。
前述の「釣り野伏せ」「繰抜」といった戦術だけで無く、当時は足軽が持つことが一般的だった鉄砲を、島津勢は武士が持っており、元服する前から訓練していたって話とか。

あと、「目を離すと何をしでかすか分からない島津勢」とか「俺の言うことすらなかなか聞かないのに、他国大名の言う事なんか聞くわけ無いだろ」(島津義弘談)っていう、当時の島津勢の性格を現した文章にも笑いました(笑)。


他にも島津義弘と立花宗茂の親交とか上杉景勝と島津義弘が共感し合ってるエピソードとか、細かい話をあげるときりが無いので止めておきますが、興味の有る方はぜひ一読を(ё_ё)
「歴史街道 大谷吉継」も泣けます(笑)。

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Category: 漫画・小説